もっと・思い出してみる
震災翌日。
まずは家の中と外を恐る恐る見て回った。
細かい事を言えば切がないが玉屋デザインズ店舗ほどのダメージは無いようだった。
地盤が良いのか構造が良いのかベースとなる家の被害が少なかったのは不幸中の幸いです。
数日たっての話ですが、私の周りでは結構な率で地震保険入っていたようです。
宮城県沖地震が来る来ると言われ続けてた為か地震の備えがあったんでしょうね。
私はケチって入ってなかったんで、自宅のダメージが少なかったのはホントに助かりました。
その後、ライフラインはすぐに復旧するだろうとしばらく掛かるだろうの感情を持ちながらも念のため乾電池を買いに近所のスーパーへ自転車で行く。
中へは入れないが入り口でカップ麺やら飲料をパートさんらしきおばちゃんたちが手計算で対応してました。
この時点ではスーパー側も何をどうしていいかわからないような感じでしたが頭が下がります。
乾電池はありませんでした。
水もなければお湯も沸かせないとどうにもならないと思いつつカップ麺を買って戻る。
世間の状況と店の状況を確認するために車で玉屋デザインズへ。
昨晩ほどの渋滞はないが信号機が止まってるせいで渋滞はしている。
特にガソリンスタンドの周りは特に酷い。
これから数週間は食料確保と同じくらいガソリンの確保に皆悩まされました。
店は昨日の店を出た状況と変わらずとりあえず一安心。
安心できる状況ではないが崩れていなかったんでと言うことです。
以前電気は点かなかったが、驚くことに水道からは出た。
職場の水確保!
一つ前へ進む。
この辺から少しずつこれからの事を考え始めていたかもしれない。
神戸の震災の記憶もあり、時間が掛かるかもしれないが必ず復興するとは思っていた。
でも、仮に店を再開したところで復興するまで続けられないだろうとも。
復興に直接貢献できる土木や建築とは違い、私の業種は必需品ではなく嗜好品だ。
余裕があってのプラスαだと。
震災当日から復旧復興のために動いていた人たちを見るたび、私の持っている技術で復興に貢献できない自分の無力感に罪悪感すら抱いていた。
神戸の震災の記憶と絡んで漠然とだが当時オリックスブルーウェーブの袖についていた「がんばろうKOUBE」も実は頭の中には浮かんでいた。
玉屋デザインズを始める前はスポーツ業界に携わっていたためでしょうかね。
ただ、この時点で「がんばろうMIYAGI」をどうするところまではまったく無かった。
翌日の記憶はここまでが限界。
明けて日曜。
自宅水確保のため五時間以上給水車へ並ぶ。
お隣福島で大変なことが起こっていることも知らずに。