続々・思い出してみる
パジェロに乗って家路に。
昼間の業者さんから玉屋デザインズまでの渋滞とは比じゃないほどの渋滞。
信号どころか街そのものに車のヘッドライト以外光が無い。
玉屋デザインズの店舗同様に屋根や外壁、ガラスが落ちている建物がかなりあったが、見た限りではつぶれた建物はなかったと思う。
そこら中車と人でごった返していた。
そんななかでも時折巨大地震に発展しそうな強い余震が続いていた。
そのたび腰高のパジェロはグラグラと揺れる。
どこを通っても渋滞。
できればトンネルの中では止まりたくないと本気で思っていた。
車の中は仙台のFMラジオ局 DATE FMを聞いていたず。
東京の情報より地元の情報が欲しかった。
今ではあまり覚えてないがその段階では地震で停電だの断水だのそんな情報ばかりだったような。
かなり情報が錯綜していたんでしょう。
自身も被災地域で暮らす身、家族のことも心配だろうに若い女子アナが頑張っていた。
「沿岸部に津波が来た模様」
数年前にも港に膝丈位の津波が来ることがあったんで、そのときはそのくらいの感覚だった。
つながりにくい携帯電話で知人友人と安否確認を繰り返していた。
誰に聞いても数名の確認が取れない。
見慣れた橋の先に車の列がないぞ。
数台の車が橋まで行っては戻ってくる。
とりあえず橋に向って進んでいくと折り返してくる車のドライバーが窓越しに
「橋の付け根が段差になって通れないよ」
私の車はパジェロ。
キング・オブ・オフローダーだ、行けるでしょ!?
しぶしぶ引き返す。
1mくらいは下がっていたかな。
これまで通ってきた段差の中で一番。
そりゃパジェロでも無理だな。
朝の通勤ラッシュでも3、40分の道のり。
蝋燭の明かりがついた自宅に戻ったのは10時近かったと思う。
安否は確認していたものの家族がそろって皆一安心。
長い一日が終わった。